神社×海洋散骨。神道・日本・自然から考えた、現代の葬送。

日本海洋散骨葬情報センター

海洋散骨ミニコラム 神社×散骨 vol.1

神社×海洋散骨。神道・日本・自然から考えた、現代の葬送。

散骨への関心やニーズがさらに高まっている近年、同じ散骨葬でも様々な特徴や価値観が求められており、個性あるサービスが行われています。その中でも散骨葬においてはまだ数少ない、神社による海洋散骨サービスをされている和布刈(めかり)神社様にお話を伺うことができました。

神社といえば、どんなイメージが浮かぶでしょうか?例えば新年の恒例行事となっている「初詣」には、約9000万人の方が足を運ぶとも言われています。現在でも「神社・初詣・神棚・おみくじ」など神道は様々なカタチで多くの人にとって身近なものとなっており、宗教を超えた日本の文化の一部となっています。またその起源をたどってみると、なんと縄文時代や弥生時代にまでさかのぼります。

その考え自体が日本元来の風土や生活習慣・価値観などが合わさって生じた概念であるとも言われており、日本人に馴染みが深い理由が伺えます。 そうした成り立ちを踏まえて、散骨と神道について貴重なお話を伺いました。

神社×散骨

和布刈(めかり)神社はとても歴史のある神社だと言われています。神社の由緒・ロケーションについて教えて下さい。

和布刈神社は、九州の最北端に鎮座する神社で、関門海峡に面して社殿が立っています。社伝によると西暦200年、およそ現在から1800年前の創立といい、古くは「速戸社」や「隼人明神」「早鞆明神」と称され、足利尊氏・大内義隆などにより社殿が建造されたといわれています。

本州と九州の玄関口に位置し、関門海峡は壇ノ浦とも称され、有名な壇ノ浦の戦い『源平合戦最後の地』でもあります。戦いの前夜には平家が戦勝祈願をした神社でもあります。 現在でも一日に大小700隻もの船が行き交い、その汽笛と潮騒が調和した音は「日本の音100選」にも選ばれています。

神道の思想・日本古来からの文化と、自然の関わりについて教えて下さい。またそうした考え・価値観などはいつごろから日本にあるものなのでしょうか?

古くから神道は、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念であり、自然を敬い日本人特有の思い、心、があり、自然に対しても万物に神が宿るとされ自然と神は一体と考えられていました。そうした中で、神社神道では、亡くなった人は皆、八百万の神々になり海、山、川等の自然に還ると言われ、遺族の守り神になるとされ、神社での参拝も二礼するのは神様とご先祖様にとされています。
(補足:神道は価値観、教え等ありません。日本人に自然に根付いた宗教です。皆その思いを自然に受け継ぎ伝統文化を大切にされていかれます。)

神社×散骨

近年ではお葬式というと仏式の風景が多いように感じますが、伝統的な神道のお葬式・埋葬においての特徴にはどんなものがありますか?

神道(しんとう)の形式によって行われる葬儀を、神葬祭(しんそうさい)といいます。神葬祭では、人が死去(帰幽といいます)しますと、神社の神職が神道の形式にて執り行います。
神道で行われる葬儀は仏式とは異なります。仏式は故人を極楽浄土に送るための葬儀ですが、神葬祭は故人の御霊をその家にとどめて、家の守護神となってもらうための儀式です。神葬祭では仏式のように焼香や線香を用いることはなく、これに当たるものが玉串奉奠(たまぐしほうてん)です。玉串とは榊の枝に紙垂(しで)を付けたものをいいます。玉串を捧げたあとは二拝二拍手一拝(にはい にはくしゅ いっぱい)の作法でお参りしますが、神葬祭や五十日祭までの拍手は、音を立てないようにそっと手を合わせる忍び手にします。

神道において死とは穢(けが)れであるため、神の鎮まる聖域である神社で葬儀を行なうことはほとんどなく、故人の自宅か、別の斎場で行ないます。しかし神道でいう「穢れ」とは、「不潔・不浄」だけを意味するものではありません。肉親の死による悲しみ、それによって、ハツラツとした生命力が減退している状態、それこそが「気枯れ」=「けがれ」であるといわれています。

通常の葬儀はもちろんですが、和布刈神社でも散骨の要望に対応しようと思われたきっかけなど、もしありましたら教えてください。

当神社が自然葬を受け付けたきっかけは、当神社は海に面して鎮座しており全国でも有数の景勝地であります。本殿から3メートル前がすぐ海で、その海に降りる階段まで設置しております。
なぜ海に繋ぐ階段が?とお思いでしょうが、この階段は当神社の『和布刈神事』という祭に神主が海に降りて行く為の物であり神聖な場所であります。

あるお盆の日、喪服を着た家族が階段で海に向かって拝んでいました。『なぜ海に拝むのか?』と伺えば、答えなく足早に帰って行かれました。実はここでひそやかに散骨をされたとの事を後になって知りました。なぜ無断で?なぜここなのか?と伺えば、神社で故人の骨をまいていいですか?とはとても恐れ多くて言えなかったとの事でした。ではなぜこの場所か?については、「なんの所以もない所より神様に見守られている場所であり、古くから馴染みがあり歴史ある神社なら故人も安心し喜ぶと思った。それにここは景色もよく、神社ということでお参りもしやすい」と言われたのがきっかけで、現在にいたりました。

神社×散骨

神社ならではの散骨。その後の供養においても配慮されていると伺いました。内容について教えて下さい。

神社では葬儀、散骨後自然に還られた八百万の神達に対し慰霊祭を執り行なわなければなりません。(呼び名は年忌供養、年忌祭、年忌法要、供養など)お墓等では対象物に対して、お彼岸、お盆等、いつでもお参りが出来ますが、散骨に対しては何処にお参りして良いのかわからないのが現実で、ご家族の中でも『散骨はお参りができない、心の依りどころが無くなる』などと言う思いから反対する方も多く見られます。神社では遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所、『遥拝所』を全国的に多く設けております。

(例をあげれば、山の頂上に神社があり、お参りする為には何時間もかけて山を上り下りしないといけない、近年高齢化にになり参拝者も減りどうにか多くの人に神社に参ってほしい、そこでその神社は山のふもとに遥拝所(拝殿)を設けたのが富士山で有名な富士山本宮浅間大社です。)その他にも全国には多くの遥拝所があり本殿(神様が鎮まっている所)と拝殿(神様に対して拝む所)が離れています。

ですから当神社で散骨をご奉仕した御霊に対してお参りする場所を設けるのは基本であり、芳名碑に名前を刻むのも当然の事で、それも供養の一つと考えております。近年、葬儀、お墓に費用をかけず費用削減し『散骨』と言う言葉だけが先走ってしまい、その後の供養、法要を考えていないのが現実です。経費をおさえるのは良い事ですが、はぶいてはいけない事までもはぶくのは悲しく残念に思います。

そういった中でも日本人伝統の教えに沿い、散骨後も永代にわたり供養していく『こころの依りどころ』をつくり、神社で清々しく御参拝して行かれるよう、多くの皆様にも知っていただきたく思っております。

神道・日本古来からの価値観という面で散骨について考えることができました。どうもありがとうございました。最後に一言お願い致します。

近年、樹木葬、自然葬(散骨)が広まってきた要因は、自然に還りたいと思う心、自然に対する日本人の伝統文化、思いがあるからだと思います。神社側からしてみれば、昔も今も変わりません。 西暦840年に第53代淳和天皇が初めて京都にて散骨されたとも言われており、神社神道にとって古くからおこなわれていました。上記の事柄もふまえ皆様に周知して頂き、『自然葬の本来かたち』を和布刈神社にてご奉仕いたしますのでご用命承ります。

自然へ還るとも表現される散骨葬。比較的新しいイメージがあり、現代ならではの概念から生まれた葬送にも見えますが、日本固有の価値観や文化に根ざした要素も多くあるようです。 海や山に手を合わせ自然に感謝する古来からの風習も、祖先と故人に対する想いの表現のひとつであるともいえます。自然と共に生きていることを感じることができる海洋散骨葬。大切な方への感謝と敬意を込めた葬送とするためにも、正しい知識と理解のもと行いたいと思います。 この度、取材に答えて頂いた和布刈神社様、ありがとうございました。

神社×散骨

和布刈神社について

【由緒】
和布刈神社は、九州の最北端に鎮座する神社で、関門海峡に面して社殿が立っています。社伝によると西暦200年、およそ現在から1800年前の創立といい、古くは「速戸社」や「隼人明神」「早鞆明神」と称され、足利尊氏・大内義隆などにより社殿が建造されたといわれています。 中でも、『李部王記』によると和銅三年(西暦710年)に始まったという「和布刈神事」(県指定無形民俗文化財)が有名となっています。旧暦元旦未明の干潮時に狩衣・烏帽子の神官三人が松明に先導され、鎌と桶を持って厳寒の海に入り海峡の岩場のワカメを刈り取り神前に供えます。これは豊漁や航海の安全を祈る重要な神事として昔は秘儀とされていましたが、現在は公開され全国から多くの人が見学に訪れています。また当神社から戦国大名の毛利元就などにワカメが贈られた時のお礼状(「和布刈文章」市指定有形文化財)が残っており、境内には細川忠興・小笠原氏が寄進した石灯籠などが、航海の無事を守るように立っている、歴史と由緒ある神社となっています。

【関門海峡】
本州と九州の玄関口、関門海峡は壇ノ浦とも称され、一日に4回も潮の流れが変わる場所となっています。有名な壇ノ浦の戦い『源平合戦最後の地』であり、その潮の流れの速さから戦いを左右されたとも言われ、戦いの前夜に平家が戦勝祈願をしたという歴史の地でもあります。現在でも一日に大小700隻もの船が行き交い、その汽笛と潮騒が調和した音は「日本の音100選」にも選ばれました。

和布刈神社オフィシャルサイト http://www.mekarijinja.com/

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